宮崎、僕が思うジールという場所
- 4月27日
- 読了時間: 2分

In 2022, in Miyazaki.
仕事を辞めて、アシュタンガヨガを学びに京都へ来てから、1ヶ月半。
ホテルとSadhana Shalaを行き来し、昼からはあてもなく散歩をする。そんな日々が続いていました。
ある日、佳吾先生がふと、
「ヒデジ君、宮崎行く予定あるの?」と声をかけてくれました。
正直、最初は戸惑いました。
「そんな本格的な場所に、自分なんかが行っていいんだろうか」
思わず聞き返してしまったのを覚えています。
当時の自分の練習は、生まれたての馬のように不安定で、
泥の中でもがく魚のように、ただ必死に動いているだけ。
誰かに見られることすら、恥ずかしいと感じていました。
それでも、その一言がきっかけで、宮崎へ行くことを決めました。
実際に行ってみると、顔見知りのメンバーも多く、
どこか少し疎外感を感じていたのも事実です。
ただ、そこで目にしたものは、
そんな感情を一瞬で吹き飛ばすものでした。
圧倒的な練習の熱量。
ただひたむきに、自分と向き合い続ける姿。
みんなが、本当にかっこよく見えた。
それは、紛れもない事実です。
宮崎の練習場「ジール」は、本当に素晴らしい場所でした。
温室のような空間の中に、たくさんの木々が息づき、
手入れの行き届いた美しい庭が広がっています。
その場に立っているだけで、呼吸が深くなるような、
そんな空気が流れていました。
少し山を下れば、すぐに海があり、
美味しい食べ物にも恵まれている。
気がつけば、
まるでそこは楽園のようだと、自然と思っていました。
朝、まだ夜明け前。
人がうっすらと集まり始め、その静けさの中で練習が始まる。
いや、あれはもう、練習というよりも祈りに近いものだったと思います。
その姿を見たとき、
「なんてクールなんだろう」と、素直にそう感じました。
この神聖な時間は、特別な誰かのものではなく、
本来、誰にでも開かれているものだと僕は思っています。
やろうと思えば、誰でもそこに立つことができる。
ただ、その一歩を踏み出し、続けていくことが難しいだけで。
練習そのものの美しさ以上に、
それに必死に向き合おうとする姿。
その在り方こそが、同じように、いやそれ以上に、
尊いものなのではないかと、今は感じています。
あの時、インドへ行くことを覚悟した、宮崎の夏。
その原点のような時間を、今日は少し振り返ってみました。

そして、ジールの食べ物もとても豊かで、どれも心と体に染みるようなものばかりでした。個人的にも、ぜひおすすめしたいです。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。








コメント